大学の思い出
僕は、美術系の学科がある高校で美術を学び、日本大学芸術学部(日芸)へ進学しました。
夢の東京へ
兄と同じ大学への進学で、二人暮らしからのスタートでした。
入学式には、祖父祖母も来てくれて、東京生活を始める新居(古いアパート)でも共に一泊したのがいい思い出です。
入学式会場の日本武道館前で記念撮影をし、その写真をテレホンカードにして大切に保存していたのを後で知りました。
二人暮らし2DKの生活
家事洗濯
2歳年上の兄との同居。
洗濯や自炊は協力して行うことに。
二人共通の財布を用意して、二人で2万円づつ食費に当ててました。
お金もギリギリの生活を送っていたが、親からの学費、仕送りもあった為、死に物狂いというほどではありませんでしたが、今でも思い出すのが、兄が作ってくれた夕食で、食卓に「お好み焼き作った」とのメモと共に、ラーメンの粉末スープの残りで作ったお好み焼き(具はキャベツのみ)。見た目がひどいけど美味しかったです(笑
バイト生活
人生初のアルバイトはカラオケボックスで働きました。
ここで生ビールの入れ方、運び方、チャーハン、焼きそば、その他色々の作り方を習得。
深夜の閉店後のカラオケも思い出深かった。その後、コンビニの店員も経験する。タバコも覚えました。
初めてのパソコン
このバイト代を貯めて、兄と二人で買ったのが人生初のパソコン。
PowerMac 6200です。
当時の記憶媒体はFD,MO。100MBを超えるグラフィックはパソコンがフリーズするほどのスペック。
兄も芸術学部生なので、1ヶ月交代で、それぞれの部屋をパソコンが移動するわけです。
同じ端末でマウスで絵を描いていました。それをインクジェットでプリントアウトして親に手紙を書いて喜んでもらえました。
大学の課題は全てアナログ
パソコン制作の波が起き始めた位の時代。
友人達と開いたグループ展には映像作品を発表しました。
卒業制作ではクラスみんなで競ってデジタル作品を作ったもので、自分はアニメーションを発表しました。
もうそのアニメは残ってません・・・
大学で学んだ事
日芸には第一線で活躍するクリエイターが教授として顔を揃えていました。
自分が目指すイラストレーションの授業では、あの安西水丸氏から学びました。
課題の評価はいつも低く、イラストレーションの奥深さに心が折れかかったほど。
唯一、褒められたのは課題ではなく、クロッキー帳に書いた安西先生の似顔絵だったなぁ。
学生の時の遊び、東京を知った事が最大の収穫
友人とのドライブ、グループ展、旅行、展覧会めぐりなどがいい経験に今の自分に息づいています。
世界に誇る大都市東京の社会や優れた大人たちにふれて、「自分もやってやる」って気持ちが育めました。
大学は経験の場、周りの環境をいかに利用できるかで自分を作り上げていける大人への入り口だとおもいます。